あと数十秒で訪れた歓喜は、手中からこぼれていった。
「第90回全国高校サッカー選手権大会」は9日、東京・国立競技場で決勝を行い、四日市中央工は延長にもつれ込む死闘を演じたが、
市船橋(千葉)に1−2で敗れた。初の単独優勝は逃したが、大会を通じて勇気と感動を与え続けた四中工イレブンに、
詰めかけた生徒や保護者、ファンは、惜しみなく声援を送り、ピッチに送られる拍手はいつまでも鳴りやまなかった。【駒木智一、谷口拓未】
四中工イレブンは、決勝の重圧にのみ込まれることなく、試合開始と同時に力を見せつけた。
前半1分、右からのCKを西脇崇司選手(3年)が競り勝ち、最後はこぼれ球を浅野拓磨選手(2年)がゴール中央に右足で押し込んだ。
浅野選手の弟史也さん(13)は、スタンドに立ち上がり、ガッツポーズを見せ、「ドリブルもシュートも本当にかっこいい。
僕もお兄ちゃんを超えたい」と絶叫した。父智之さん(46)は「兄弟思い、親思いの素晴らしい子に育ってくれた」と目頭を押さえた。
スタンドでは、準決勝後に急きょ応援が決まり、卒業生を含め32人が駆けつけた四日市商高吹奏楽部が応援に花を添えた。
上滝奈月部長(17)は「精いっぱいの演奏で好プレーを導きたい」と演奏に熱がこもる。
しかし、市船橋の分厚い攻めに苦しい時間帯が続く。後半ロスタイムには同点ゴールを許し、延長後半5分には逆転を許した。
20年前の優勝の立役者、小倉隆史さん(38)、中西永輔さん(38)、中田一三さん(38)の
「三羽ガラス」も後輩の奮戦を見守っていたが、天を仰いだ。
小倉さんは「自分たちのサッカーができていたのに、最後に体力が尽きてしまった」と唇をかみ、
中西さんも「なんて残酷な結果なんだろう」と肩を落とした。
20年ぶりの栄冠を逃し、選手はピッチにうずくまった。20年前の主将・中田さんは「悔しいならまた頑張ればいい。
3年生もサッカー人生は続くし、下級生は1年後、また国立に戻ってくればいい」と激励し、四中工イレブンの再起を願っていた。
◇たくましくなって戻る−−四日市中央工・浅野拓磨選手(2年)
大みそかに妹が生まれ、7人兄弟となったサッカー一家の三男、浅野拓磨選手(2年)は、兄弟の数と同じ7得点目を挙げて得点王に輝いた。
両親から毎日送られてくる生まれて間もない妹の写メールが「力の源」とはにかみ、ピッチを離れれば、どこにでもいる優しいお兄ちゃんの顔になる。
一方、ピッチの中では、勝負師の顔をのぞかせた。全試合で得点を挙げ、チームを決勝まで導いてきたが、「多くのチャンスを逃した。
決めるべきところで決めていればチームは苦しまなくて済んだ」と敗戦の責任を一人背負い込んだ。
浅野選手に次ぐ大会6ゴールを挙げた田村翔太選手(2年)を含め、チームは下級生が中心だ。
周囲からは「また来年がある」と励まされるが、「今、優勝したかった。このチームでやれるのは今日が最後。あまりにも短かった」。
これで終わるつもりは毛頭ない。「もっとたくましくなって、田村と2人で競ってダブルエースとして戻ってきます」。
得点王は力強くそう言い放ち、国立のピッチを後にした。【駒木智一】
◇PVで市民ら声援 市総合会館ロビーに120人
四日市市諏訪町の市総合会館ロビーでは、試合の様子を大画面に映すパブリックビューイング(PV)が行われ、市民ら約120人が声援を送った。
試合開始早々に先制点を決めると拍手がわき起こり、会場は優勝の雰囲気に包まれた。
前半を終えると、地元のサッカーチーム「FC四日市Jr」のいずれも6年生の岩田拓真君(12)と
水谷圭佑君(12)、斉藤開君(11)、堀川将一君(12)は「このまま守りきってほしい」「次の1点がかぎになる」と後半の展開に期待した。
後半はピンチの連続だ。市民らは「危ない、頑張れ」と声を張り上げ、終了寸前に追い付かれると、大きなため息が漏れた。
だが、延長の末、敗戦が決まると、選手たちに温かい拍手が送られた。
四中工サッカー部4期生の同市三ツ谷町の木工所経営、石垣康夫さん(62)は「四中工魂でよく頑張った。
両校の選手とも最高の顔をしている」と選手たちをたたえていた。
◇あす凱旋パレード
市は11日、準優勝を祝う凱旋(がいせん)パレードを行う。午後3時45分、同市安島の市立博物館横の市民公園から、
樋口士郎監督や選手らがオープンカーなどに乗って出発し、中央通りを経て市総合会館までの約1キロをパレードする。
同会館前では田中俊行市長が出迎え、報告会が開かれる。【佐野裕】
高校サッカー:四日市中央工が準V 主将、無念の出場停止
決勝の舞台に、主将の姿はなかった。
「第90回全国高校サッカー選手権大会」で準優勝した四日市中央工(三重)のMF国吉祐介主将(3年)は累積警告のため、
決勝に出場できなかった。樋口士郎監督(52)が「チームの心臓以上の存在」と全幅の信頼を置く大黒柱は
「みんなが必死に頑張る姿を見ることができてうれしかった」と気丈に振る舞った。
「四中工に進み、国立競技場でプレーしたい」。千葉県鎌ケ谷市出身の国吉主将は、中学生の時に同校の練習に参加し、こう思ったという。
そして、その願いをかなえた。
親元を離れての寮生活でホームシックにもなった。「仲間や、国立の舞台を目指す夢のおかげで耐えられた」という。
国立競技場のピッチを初めて踏んだ7日の準決勝で2度目の警告を受け、決勝は出場停止になった。
決勝戦の開始直前、国吉主将は「自分たちのプレーをしよう」と話しかけ、チームを鼓舞した。「国吉のために優勝しよう」。仲間は誓った。
生川雄大選手(3年)は「あいつのおかげで決勝まできた。優勝で応えたい」。国吉主将は今大会3点を挙げていた。
ベンチには国吉主将のユニホームとスパイクが置かれた。
試合中、国吉主将は応援席などから懸命に声を出した。願いは届かなかった。涙に暮れる仲間の肩を抱き、「ありがとう」と元気よく声を掛けた。
「自分が下を向いたらいけない」。その目は真っ赤だった。
ロスタイムで同点に追い付かれ、言葉を失った。でも「四中工で最高の仲間とプレーし準優勝できて良かった」。
ベンチにあった主将のスパイクに、仲間たちの寄せ書きがあった。「キャプテン、ありがとう」。そう書いてあった。【谷口拓未】