1980年代、四中工は一気に全国の強豪チームへの仲間入りをする。県立高校ながらこれまでの実績で全国各地からの入学希望者が増え、これまでは全学年50名ほどだった部員数も170名を超える時もあった。チームもA、B1、B2の3つに分けられ、それぞれ別のチームでの活動となった。もし三重県予選にこれらのチームが出たら決勝はおそらく四中工Aー四中工Bの戦いになるだろうと噂されたくらい選手層は厚かった。優秀な人材が全国から集まり切磋琢磨し、それぞれがレベルを上げ全国規模の大会で優勝を勝ち取るだけの実力をもつけていった。そしてインターハイ2連覇や選手権での好成績につながっていった。


年度 主な出来事 内容 3年生
1980 国立で大橋主将選手宣誓 昨年度三岐大会で負けた悔しさを胸に秘め、雪辱に燃えた一年だった。まず新人戦で優勝し清水で行われたフェスティバルでは予選リーグを全勝でトップ通過、1位リーグでは静岡学園などを相手に1分け4敗で終わった。インターハイでは1回戦作陽高に2−0で勝つが2回戦栃木の今市高に0−2で敗退。残る選手権に全てをかけチーム一丸となって臨んだ。予選では準々決勝四日市工に3−2と苦戦したものの比較的楽に決勝まで進んだ。決勝は上野工とあたり苦しい試合だったが相手のミスもあり2−1で勝利した。三岐大会では中京商とあたったが前半から猛チャージをかけ8−0と大勝した。本大会では1回戦金沢西に開始30秒で高山が先制し、さらに4分太田が得点し、結局4−1で勝った。2回戦は広島工との対戦で前半38分相手のセンタリングミス?がポストにあたりそのままゴールインし、前半を0−1で折り返した。後半太田、川戸などがオフサイドトラップぎりぎりを突破し再三チャンスをつくるが相手GKの攻守にあい得点できず敗退した。優勝は古河一高 大橋、高山
水谷、川戸
内田、伊藤
稲垣、植松
太田、大野
紀藤、森
平野(旧姓小竹)
佐藤(旧姓松田)
1981 全国大会出場ならず 春の新人戦では上野工、四日市工を撃破して優勝をかざった。が、インターハイ予選準決勝で上野農を2−1で破ったまではよかったが決勝戦上野工にはフリーキックから混戦となり痛い失点を喫した。結局それが決勝点となり惜敗した。選手権予選でも上野工は大きく立ちはだかった。やはり決勝で顔をあわせた両チームだったが、後半立ちあがりまたもフリーキックから1点を許し、その数分後またも失点を許し苦境に追い込まれた。後半は一方的に攻めこんだが1点を返しただけで1−2で敗退した。チームのなかではGK佐藤がGKになってわずか1年でユース日本代表となりアジアユース大会に出場した。タイのバンコクで行われたが日本は韓国、カタールに負け、3位でワールドユース大会への切符は逃したが、いい経験になった。 相原、石原
太田、窪田
高井、谷口
田牧、山本
石井、佐藤
高田、高木
1982 県内公式戦全勝 新人戦を含め県内では全てのタイトルをとり負けしらずだった。が、鹿児島で行われたインターハイは名古屋空港から飛行機で出発した。初飛行機に鷹野、平野をはじめ、選手はかなり緊張気味だった。それが災いしたのか1回戦八千代高に延長の末1−2で負けてしまう。最後の選手権でも1回戦同じ東海勢の愛知代表中京高と対戦し、服部主将、越後などを中心に攻めるが0−1で敗退。涙を飲んだ。 後藤、豊田
伊藤、沢田
鷹野、竹本
山口、稲垣
伊藤、大原
服部、平野
屋敷、荒木
小池、水谷
辻、松田
1983 インターハイ初制覇 これまでインターハイのベストフィニッシュは1978年のベスト8が最高だったがこの年、それまでの不満を一気に爆発させ全国優勝を飾った。1回戦2−1市原緑をきっかけに2回戦3−0新潟工、3回戦6−0佐賀学園準々決勝ではこれまで苦手としてきた帝京を3−1でくだし、続く準決勝でも清水市立商を相手に前半3点をとり主導権を握るがその後3点を返されPK戦で辛くも決勝進出する。これまで5試合を17点という破壊的な攻撃力で勝ちあがった四中工と5試合を全て1点差もしくはPK戦で勝ちあがった水戸商との対戦になった。四中工は前半から多彩な攻撃で主導権を握るが水戸商の激しい闘志の前に前半は0−0、後半怒涛の攻撃をしかけ28分越後、32分大立目の惜しいシュートに続き33分越後から金津
南部へと渡ったボールを南部がシュート、一旦はGKにはじかれるがそのこぼれたボールを平野が飛び込み待望の先取点をあげた。結局これが決勝点となり初の全国制覇となった。こうなると選手権でも優勝し全国2冠に期待するプレッシャーの中、5−0仙台向山高、2−0暁星、1−0愛知
と順調に勝ちあがるが準決勝で長谷川健太、堀池らを擁する清水東高に2点をリードされ1点を江川が返すが追加点を許し1−3で敗退。3位に終わる
草深、越後
江川、金津
大立目、坂
河北、万代
矢田、森
平野、寺井
岩谷、伊藤
1984 インターハイ二連覇 昨年に続きインターハイV2を達成した。しかし昨年のメンバーがほとんど抜け、新人戦では津高校に苦杯をなめさせられるという散々なスタートだった。しかし、インターハイでは他校をはるかにしのぐ集中力とチームワークで見事優勝を果たした。その裏には秋田県での宿舎となった畑地区の人々の暖かい声援も決して見逃せない。今回初の試みとしてホテルなどは使わず、一般家庭への民泊という形をとった。選手たちを泊まらせてくれた畑地区の方々は初戦から家族総出で応援のためグラウンドにかけつけてくれ、これがなにより選手に勢いを与えてくれる結果になったと思われる。そして家族に代わり祝勝会まで開催してくれた。チーム一同忘れられない思い出となったことだろう。結果は、1回戦シードされて2回戦2−0前橋商、3回戦1−0島原商、準々決勝4−0秋田経法大附属準決勝3−2武南、決勝3−1広島県工。インターハイに続き、”選手権でも”の期待の中チーム一丸となって練習に励んだ。そして迎えた県予選決勝、雨の中四日市工と対戦し先取点を許したものの同点に追いつき、後半にたくしたが逆に1点をとられ、猛反撃にでたがあせりからかゴールが奪えず1−2で敗退し選手権は夢に終わった。 川浦、南川
磯貝、窪田
南部、右田
水谷、樋口
川森、鈴木
水原、竹内
1985 選手権準優勝 昨年の正月は四日市で過ごし、選手権をTV観戦し悔しさを味わったイレブンだが、その分早くから始動し、メンバーも半分以上残っていたので選手権出場を重点目標にし、置いていた。3連覇をめざすインターハイは金沢で行われた。去年、お世話になった秋田の人たちも遠路にもかかわらず多数応援にきてくれた。頭の下がる思いである。”3連覇なるか”注目の中、2回戦2−0松江南、3回戦2−0水戸商を下し準々決勝に進んだ。室蘭大谷との試合は両チーム0−0のまま延長戦でも決着がつかずPK戦へ。PKでも5人では決着がつかずサドンデスで6−7で敗退。3連覇は幻に終わった。残るは選手権優勝候補にもあげられているくらい前評判が高かった。初優勝の期待が高まる中、2回戦1−1(PK4−3)富山第一、3回戦1−0東海大甲府、準々決勝2−0鹿児島実業、準決勝1−0秋田商と下し、
念願の決勝進出。相手は同じ東海勢の清水商、これまで楽な試合は1つもなく雨中の試合やPK戦などで選手の疲労、怪我でベストの状態ではなかった。結果は0−2で準優勝に終わったが、8年ぶりの決勝進出で再び四中工を日本サッカー界に印象付けた。
小原、清水
服部、諸岡
伊藤、阪倉
吉川、大藪
岡村、佐々貴
水谷、伊藤
高柳、田中
安藤、柏木
田中、萩原
1986 県内公式戦失点1 新チームになって初の公式戦新人戦以来、選手権予選四日市西高に1点取られただけでこの1年間県内では全公式戦失点1という鉄壁の守りをみせた。春の中京TV杯では決勝で帝京を4−1の大差で破り初優勝し最高のスタートをきった。この勢いのままインターハイにも出場するが、2回戦1−2滝川第二に敗れてしまう。この敗戦から得た反省としてオープンスペースを有効利用するため4・3・3のシステムから4・4・2に変更された。これは四中工始まって以来のシステムだが両サイドバックの野町、南川の攻撃参加を生かすために選手権予選から採用した。予選では5試合で得点30、失点1という記録的な強さで突破し、本選でも悲願の優勝を目指すべくがんばった。が、2回戦3−2郡山北、3回戦3−1玉野光南を破り準々決勝、国見戦。前日からの大雪でグラウンド状態が心配されたが地元高校生の除雪作業のおかげで無事行う事ができた。前半両チームとも決定的なチャンスを掴みながら0−0のまま後半へ。後半8分、相手シュートが味方にあたりコースが変わってゴールを許す。この失点で気が抜けてしまい11分、16分と立て続けに得点を奪われ、0−3で敗退夢の実現はならなかった。 岩谷、上原
川島、野町
伊藤、印田
金澤、佐藤
萱苗、加藤
尾崎、日紫喜
山村、井田
荒木、増谷
南川、南
1987 選手権ベスト4 新チームになり、中心になる選手はいたものの全体的に力不足の感があった。しかしインターハイには6年連続出場を果たした。が、初戦初出場の佐野日大に0−1で破れ、北海道を後にした。しかし、この敗戦がチーム全体に危機感をもたらし、今まで以上に練習にも必死になって取り組んだ。そしてインターハイの屈辱を晴らすべく選手権に臨んだ。予選では準決勝で上野工に苦戦を強いられたもののこれを3−2で破り、四日市工との決勝では2−0で下し、本選への切符を手に入れた。四中工は2回戦から出場、2回戦秋田経法大附属に1−0と辛勝、勝ったものの出来が悪く新聞には”良薬の1勝”と書かれた。その通り良薬を噛み締めたイレブンは3回戦2−0古河一高、準々決勝2−0岐阜工を破り,準決勝に進出。相手はまた国見高だ。前半開始5分酒井がGKと1対1になり狙いすまし左隅へゴール。その後も国見のお株を奪うようなすばやい出足を見せ優位に試合を進めるが、前半20分、ロングスローから同点ゴールを決められると後は国見にペースを握られ、後半2点を取られ1−3で涙を飲んだ。試合後、城監督は「国見戦の終了のホイッスルを聞いた時、また来年が始まったと思った」と語った。 原田、瀬田
山中、岡本
水谷、金澤
樋渡、石田
赤塚、早川
山川、中川
高柳、水谷
寺島、酒井
松本
1988 選手権帝京に初勝利 今年のチームの特徴はユース級の選手がいないが全員が努力を積み重ね、運動量とスピードでスペースをうまく使いとくにカウンター攻撃がすばらしいチームだ。インターハイでは1回戦和歌山工に前後半あわせて36本ものシュートを浴びせたが3点しか取れず課題が残った。続く2回戦は関東大会優勝の武南高と対戦。30度を超える暑さの中、1点を争う好ゲームとなった。終了直前相手の放ったロングシュートが決まったが、その前に終了のホイッスルがふかれ、ノーゴール。延長戦に入った。延長後半1分集中力が切れたところをコーナーキックから得点され、0−1で負けてしまった。選手権では、2回戦から出場、1−0光星学院高を破り、2回戦帝京との対戦。これまで、選手権ではS.49年PK負け、S.52年0−5と敗れているので、気合がはいる。前半開始早々1分先制されるがそのすぐ1分後、水嶋のドリブルシュートが決まり同点に追いつく。後半風上になりペースを掴み後半37分清水のコーナーキックからまたも水嶋がヘディングシュートを決め、逆転、そのままタイムアップ。帝京から初勝利をあげた。準々決勝は前橋商と対戦。帝京戦勝利で波に乗るかと思われたが空中戦を支配されスピーディな攻撃にマークが甘くなり、前半7分21分にゴールを決められ、2点を追う展開となった。26分水嶋がシュート、DFにあたったところを菅野がきめ1点差、しかし前半終了間際、またも得点を許し1−3で敗退。またしても夢が消えた。今年は昭和天皇が崩御された事により準決勝が二日間延期された。 早川、広田
堀川、岡崎
清水、島田
問島、加藤
小林、田中
伊藤、早川
万代
1989 選手権南宇和にPK負け 去年まで新人戦11連覇していたが、この年12連覇を逃した。決勝で上野工に0−1で敗れたが、城監督の試合後の一言でチーム全員の気が引き締まり、練習、試合に臨む姿勢が前向きになり、全体のレベルがアップした。そして、迎えたインターハイ1回戦5−1で米子工に快勝し続く2回戦関東大会優勝チーム桐蔭学園と対戦。雨上がりの最悪のコンディションの中、DFラインの裏をねらったが逆にオフサイドトラップにかかり、0−2で敗退した。この後の夏合宿では選手の自主性を強調するため練習メニューなど選手たちで考え、例年とはまったく違った合宿を行った。成果はめきめき現れ、精神力、忍耐力、チーム内の絆が高まった。そして迎えた選手権予選、2回戦からの出場で5試合で得点30、失点0という完璧な内容で他校を圧倒代表の座を勝ち取った。本選でも2回戦習志野高を敵地千葉総合運動場で水嶋、坂崎らの活躍で2−0で粉砕し、全国制覇に向け上々のすべりだしをみせた。3回戦は優勝候補の一角四国の南宇和高との対戦になった。前半35分FKからスルーパスを通され先制点を奪われてしまう。しかし、3分後矢田のシュートのこぼれ球を今大会絶好調の水嶋がゴール左に蹴りこみ、同点とした。後半押し気味にゲームを進めたがつめが甘く1−1のままPK戦に突入。それぞれ5人づつ蹴って4−4でサドンデスにもつれ込んだが6人目止められ、無情のホイッスルを聞く事となった。南宇和は結局優勝した。 押村、萩田
真弓、諸岡
水嶋、矢田
菅野、大島
寺井、奥村
松本、伊藤
小山、坂崎